昭和時代(戦前)

昭和時代の始まり

1926年、大正天皇が崩御しました。
ここから1989年に昭和天皇が崩御するまでを平成時代と呼びます。

世界恐慌

1929年10月、アメリカのニューヨーク株式市場で株価が大幅に下落しました。
その影響はアメリカ一国にとどまらず、世界中へ広まります。世界恐慌です。

この時、世界恐慌に対処できたのはニューディール政策を行ったアメリカや、植民地を多く所有し、ブロック経済を行ったイギリスやフランスでした。

どの国もが自国優先となってしまった結果、恐慌の影響を大きく受けたイタリアやドイツではファシズムが台頭しました。

政党政治の危機

その頃、日本も危機に瀕していました。

国内では昭和恐慌が発生し、都市も農村も打撃を受けていました。
他方、国外では中国で北伐(中国国民党が中国を統一しようとする動き)が起きていました。 そのため軍部は日露戦争で獲得した満州の権益が失われることを懸念していました。
こうした状況にも関わらず、政府は汚職を起こし、不況に対処することもできず、中国情勢にも介入しようとしませんでした。

この結果、人々の政党政治に対する不満が高まっていきました。

満州事変

戦争のイメージ
戦争のイメージ画像

そんな中、1931年9月18日、柳条湖事件が起こります。この事件を機に軍部は軍事行動を開始し、翌年には満州国を樹立しました。

満州事変に対して国際連盟はリットン調査団を派遣します。しかし日本は国際連盟から離脱し、孤立化の道を歩んで行きました。

一方、国内では五・一五事件で犬養毅首相が暗殺され、政党政治にピリオドが打たれました。
以後、軍人が首相を務めるようになり、二・二六事件後は軍部の発言力が増していきました。

日中戦争

さて、満州国を樹立させた軍部はさらなる中国進出を図ります。

こうした中、1937年7月、盧溝橋事件が発生しました。これを機に日中戦争が始まります。
日中戦争は途中で和平交渉が打ち切られたことやアメリカやイギリスが秘密ルートで中国を支援していたこともあり、長期化していきました。

太平洋戦争の始まり

日中戦争が長期化する中、軍部は東南アジアに活路を見出そうとします。
折しも、ヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっており、日本と関係の深いドイツが快進撃を続けていました。
そこで、日本は1940年にフランス領インドシナ北部に、翌41年にフランス領インドシナ南部に進駐しました。

ところが、日本の動きに反発したアメリカが経済制裁を下します。
日本はアメリカと交渉します(ただ、一方でソ連を日ソ中立条約を結んでいました)が、交渉は決裂します。

そのため、東条英機内閣は開戦を決定します。1941年12月8日、真珠湾攻撃とマレー侵攻を実施しました。こうして太平洋戦争が始まりました。

日本の窮地

太平洋戦争は当初、日本が優勢でした。日本は破竹の勢いで太平洋・東南アジア方面に勢力を伸ばしました。

ところが、1942年6月のミッドウェー海戦で敗北すると、アメリカなど連合国側の反撃が始まったこともあり、形勢は不利となります。

こうした中、1940年から同盟関係にあったイタリアが1943年に、ドイツが1945年5月に降伏します。
この間、日本を取り巻く環境は悪化していた(1944年サイパン島陥落、1945年3月10日東京大空襲、4月~6月沖縄戦)にも関わらず、日本は戦争を継続しました。

戦争の終結

そんな中、1945年7月、連合国がポツダム宣言を発表します。しかし、日本は黙殺してしまいます。

すると、8月6日広島に、8月9日長崎に原爆が投下されました。

同じ頃、8月8日にはソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦し、満州国などに進行しました。

ここへきて日本はようやく戦争の継続が困難であることを悟ります。
そこで、日本は8月14日にポツダム宣言の受諾を決定、翌15日に昭和天皇がラジオで国民に伝えました。

こうして15年にもわたった戦争は終結しました。

原爆ドーム
広島の原爆ドーム。負の遺産として世界遺産に登録されています。