戦国時代の始まり
室町幕府の影響力が低下すると、各地で「実力によって支配領域を守ろうとする者」が現れます。これが戦国大名です。
戦国大名が各地でしのぎを削った時代を戦国時代と呼びます。
戦国大名の領国経営
戦国大名は支配領域を維持するために、あらゆることを行いました。
例えば、下剋上や「暴力による問題解決」を防ぐため、分国法を制定します。
また、関所を廃止し、自由な商売を認める楽市令を出すことで商人を呼び込み、 城下町を作って家臣や商人を集めて経済の活性化を図りました。
大航海時代とヨーロッパの出会い
ちょうどその頃、ヨーロッパでは大航海時代と迎えていました。
特に、スペインとポルトガルはいち早く海外に進出します。日本はこれらの国々と南蛮貿易を行いました。
ヨーロッパ人がもたらしたもので特に有名なのが鉄砲とキリスト教です。
鉄砲は種子島に伝来すると、国産化され、戦術や築城技術に変化をもたらしました。
また、キリスト教はフランシスコ=ザビエルによって日本に伝わると、キリスト教を信仰する者も現れるようになりました。 中には南蛮貿易を行うためにキリスト教に入信する戦国大名もいました。
ヨーロッパとの出会いは、国内に大きな影響を与えました。
安土桃山時代の始まり
戦国大名が各地で勢力争いを繰り広げる中、「天下統一」を目指す人々が現れます。それが織田信長と豊臣秀吉です。
この2人の時代を安土桃山時代と呼びます。
織田信長の天下統一
織田信長は元は尾張の戦国大名でした。桶狭間の戦いで名をあげると、足利義昭を上洛させ室町幕府15代将軍に擁立します。
その後、敵対する戦国大名(浅井氏や朝倉氏や武田氏)や仏教勢力(一向一揆や延暦寺)と戦いながら勢力範囲を広げていきます。
こうして信長は1582年に武田氏を滅ぼすと、近畿・北陸・東海を中心に広範囲を支配するに至りました。
ところが、信長は毛利攻めに向かう途中、本能寺の変で明智光秀の裏切りにあい自害しました。
豊臣秀吉の天下統一
信長の死後、次の天下人に名乗りをあげたのが豊臣秀吉です。
彼は山崎の戦いで明智光秀を倒すと、賤ヶ岳の戦いで信長家臣の柴田勝家を破り、「信長の後継者」として台頭します。
そんな秀吉は小牧・長久手の戦い以後、朝廷の権威を利用して天下統一を目指します。
具体的には上杉氏や徳川氏など有力な戦国大名に冠位を与えて序列化を図るとともに、島津氏や北条氏など停戦命令を無視した大名を武力で服属させました。
こうして1590年、豊臣秀吉によって天下統一が実現しました。
秀吉の晩年
国内を統一した秀吉は、東アジア世界の中心となる野望を持ち、明侵攻を目論みます。
ところが、朝鮮が日本の要請を拒否したため、秀吉は二度にわたって朝鮮出兵を敢行しました(1592年文禄の役、1597年慶長の役)。
しかし、最終的に失敗に終わりました。
この結果、豊臣政権は弱体化し、次の天下人である徳川家康が台頭していくことになります。