明治時代の始まり
戊辰戦争の真っただ中の1868年、元号が明治に変わります。
ここから1912年に明治天皇が崩御するまでを明治時代と呼びます。
近代化に向けて
明治政府の目標は「幕末に結んだ不平等条約の改正(領事裁判権の撤廃と関税自主権の回復)」でした。
そのために国内では様々な近代化政策が実施されます。
政府はまず、版籍奉還と廃藩置県を実施します。これにより、政府の命令が全国に伝わる仕組みが整いました。
その上で、政府は学生や徴兵令、地租改正などを実施していきました。
たほう、外交では岩倉使節団が派遣されます。目的の一つだった条約改正の予備交渉は実現しませんでしたが、 帰国後、彼らは近代化の推進を目指しました。
西南戦争と自由民権運動
そんな明治政府で内部分裂が起こります。きっかけは「征韓論」でした。
朝鮮との国交をめぐり、武力で朝鮮開国を目指す(征韓論)西郷隆盛や板垣退助らと、国内の近代化を優先する大久保利通らが対立します。
この結果、西郷や板垣らは明治政府を去りました。
その後、西郷は不平士族に担ぎ上げられる形で西南戦争を起こし、明治政府と戦って敗れました。
一方、板垣は1874年、民撰議院設立建白書を提出し、自由民権運動を起こします。
運動は1880年代に入り停滞し主導権が政府に代わりますが、大日本帝国憲法の制定や帝国議会の開催が実現しました。
日清戦争と日露戦争
明治時代、日本は二度にわたって大国と戦います。それが日清戦争と日露戦争です。
明治時代半ば、日本と清は朝鮮を巡って対立していました。こうした中、朝鮮で起きた甲午農民戦争を機に日清戦争が勃発します。
日清戦争後、下関条約で日本は清に朝鮮の独立を認めさせたほか、台湾や遼東半島、澎湖諸島を割譲させ、賠償金を獲得しました。
ところが、日本の動きをロシアが警戒します。ロシアは三国干渉によって日本に遼東半島返還を迫ると、東アジア方面に進出を目指します。 その事が一因となって日露戦争が勃発しました。
日露戦争後、ポーツマス条約で日本の大韓帝国への優越権が認められると、これ以降日本は韓国併合を進めていきました。 同時に、ポーツマス条約で南満州の権益も手に入れたため、南満州にも進出していきました。
条約改正
日清・日露戦争の間で、日本は悲願の条約改正を実現します。
こうして日本は明治時代を通じて近代化を進め、欧米と肩を並べるまでになりました。