大正時代

大正時代の始まり

1912年、明治天皇が崩御し、大正天皇が即位しました。
ここから1926年に大正天皇が崩御するまでを明治時代と呼びます。

第一次護憲運動

日露戦争後から、藩閥の桂太郎と立憲政友会(政党)の西園寺公望が交互に政権を担当します。この期間桂園時代と呼びます。

しかし、桂園時代は西園寺内閣が藩閥や陸軍によって倒閣されたことで終わりを迎えます。

その後、藩閥で陸軍とも関係の深かった桂太郎に内閣が任されたことで、第一次護憲運動が起こります。 この結果、桂内閣は退陣しました。

第一次世界大戦

その頃、ヨーロッパでは植民地や民族問題をめぐって対立が生じていました。

こうした中、1914年にサラエボ事件が起こります。
これを機に各国はイギリス・フランス・ロシア率いる連合国か、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国率いる同盟国に分かれて参戦しました。 こうして第一次世界大戦が始まります。

第一次世界大戦は1917年にアメリカが連合国側に参戦すると形勢は連合国側有利となります。このためドイツは1918年に降伏しました。

大正時代の国内

日本も第一次世界大戦に連合国側として参戦します。この間、大戦契機を迎えますが、物価が上昇し、国民の生活は苦しいままでした。

そうした中、米騒動が発生します。政府がロシア革命(1917年に発生。二度の革命によって社会主義の政府が成立しました)を阻止するため、 シベリア出兵への参加を決定したことで米の買い占めが起きたからでした。

この結果、当時の寺内正毅内閣は退陣し、新たに原敬内閣が成立します。
原内閣は陸・海・外務大臣以外は政党の党員から選んだため、「本格的な政党内閣」と呼ばれました。

その後、政党以外の内閣が続いたため、政党勢力(立憲政友会、憲政会、革新倶楽部)が普通選挙の実現を求め第二次護憲運動を起こします。

この結果、加藤高明内閣が成立します。加藤内閣は普通選挙法を成立させると、1928年に普通選挙が実現しました(ただし、選挙権は男子のみ)。

こうして、国民が求めていた政党内閣や普通選挙が実現しました。

束の間の平和

さて、第一次世界大戦後、世界は国際協調に向けて動き出します。国際連盟が設立されたほか、ワシントン会議で太平洋や中国、軍縮について話しあわれました

一方。国内では自由や民主主義を求める動きがさかんになり、社会運動が活発化しました。

ところが、平和な時間は長くは続きませんでした。
世界恐慌を機に、世界は分断し、再び戦争が起こることになります。