占領の開始
1945年9月2日、日本は降伏文書に調印します。ここから日本の戦後が始まります。
ポツダム宣言に則り、日本の占領が始まります。GHQが指令を出し、日本政府が実行していく間接統治の形式で占領が行われました(ただし、沖縄などはアメリカの直接統治下にありました)。
当初GHQは①非軍事化、②民主化の二つを目標に占領政策を実施しました。
非軍事化に関しては、軍隊の解散や公職追放、東京裁判が行われました。
また、民主化に関しては、財閥解体や農地改革、労働三法(労働組合法・労働関係調整法・労働基準法)の制定といった経済面での民主化のほか、 女性参政権の付与といった政治面での民主化、教育基本法制定など教育面での民主化が行われました。
そして初期占領政策の集大成として、日本国憲法が公布・施行されました。
冷戦の開始と日本の独立
ところが世界では、アメリカとソ連が対立し、冷戦が始まっていました。
その影響はドイツや東アジアにも及びます。ドイツや中国、朝鮮半島ではアメリカ率いる西側陣営と、ソ連率いる東側陣営に分裂しました。
このような状況の中でGHQは日本の経済復興を優先するようになります。そのため、GHQが占領後期に実施させた政策は「逆コース」と呼ばれました。 一例としては1950年に朝鮮戦争が勃発した際、警察予備隊(現在の自衛隊)が設置されたことがあげられます。
やがてアメリカは日本の早期独立を考えるようになります。
そこで1951年4月、サンフランシスコ平和条約が締結されました。
この条約は翌年発効し、日本は独立しました。
50年代から70年代の日本
独立後の日本は安定と繁栄の時期を迎えます。
政治では、55年体制(自民党と社会党が拮抗している政治体制)が成立しました。
また、経済では高度経済成長期を迎えていました。この間に東京オリンピックが行われています。
さらに外交では、ソ連や東南アジア諸国、韓国や中国との国交を回復する一方、アメリカと交渉し沖縄返還を実現させました。
このように50年代から70年代にかけて日本は、(途中で安保闘争があったものの)おおむね安定した時期を迎えました。
高度経済成長のその後
ところが、1973年に第四次中東戦争が勃発すると、これをきっかけにオイルショックが発生します。
この結果、日本の高度経済成長期は終わりを迎えました。
日本は自動車やハイテク産業へのシフトチェンジや省エネ化、人材整理などによって乗り切ろうとしました。
一方、世界では国際的に経済危機を乗り越えようとする動きが起こります。1974年には第1回先進国首脳会議(サミット)が開催されました。
また、1985年にはプラザ合意が発表され、当時深刻になっていたドル高を是正することが決定されました(ちなみにこれをきっかけに日本はバブル景気を迎えました)。
こうした中、世界は冷戦終結に向け動き出していきます。